源頼朝が挙兵の際に夢枕に立ち、平家討伐を進めたと言われるのが『佐助稲荷神社』これにより、源頼朝は征夷大将軍にまで上り詰める事ができ、『出世稲荷』とも呼ばれるようになった『佐助稲荷神社』の御朱印と御朱印帳を頂いてきましたので、どのようなものが頂けるのか参考にしてみて下さい!
佐助稲荷神社とは
- 御祭神:宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、大宮女命(おおみやひめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)
- ご利益:出世、恋愛成就、仕事運
- 例大祭:2月初午の日
源 頼朝は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍です。 河内源氏の源義朝の三男として生まれました(1147年)。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆、蛭ヶ小島へ流され、後に北条政子と結婚。そこで頼朝が病気に臥せっていた際に「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち平家挙兵を促しました。そして頼朝は1180年8月に北条氏など東部の武士と協力し平家打倒の挙兵に踏み切ります。その後紆余曲折はありましたが、1185年弟の範頼、義経らに命じ「壇之浦の戦い」で平家を滅ぼしました。源頼朝は後の1192年に幕府を開き北条時政らの縁者や大江広元などの京都出身者を側近にし、幕府を運営しました。また、頼朝の御家人となった全国の武士によって幕府は支えられましたが、特に東国御家人たちの頼朝に対する信頼は厚いものでした。 頼朝は幕府の本拠地を鎌倉に定め,彼自身ほとんどその地を出ることはありませんでした。
佐助稲荷神社の御朱印
佐助稲荷神社の御朱印は基本は書置きでの対応となります。
御朱印帳を購入すると、最初のページには既に書かれているものが頂けます。
初穂料300円。
こちらは佐助稲荷神社下社にある『縁結び観音』として信仰されている十一面観音菩薩の御朱印です。初穂料300円。
佐助稲荷神社の御朱印帳
紺色の縮緬生地に赤い鳥居と狐の可愛らしいデザインです。
佐助稲荷神社の御朱印を書いて頂くには?
佐助稲荷神社の御朱印を自分の御朱印帳に書いて頂く場合は、佐助稲荷神社で印のみ押して頂き、長谷にある『御霊神社』の社務所へ行くことにより、手書きで頂く事が可能です。
[template id=”79″]
佐助稲荷神社のSNS情報です。
[jin_icon_twitter]公式Facebook
佐助稲荷神社の魅力
鎌倉の隠れ里と呼ばれている佐助稲荷神社は鎌倉駅から徒歩20分程の場所に位置します。近くには、銭洗弁財天や葛原岡神社があります。
佐助稲荷神社の標識から少し進むと、赤い鳥居がずらりと並んでいるのが見えてきます。
少し進むと、なだらかな階段が現れます。
凄く神秘的な空間で、ただならぬ雰囲気に包まれながら、階段を上ると手水舎が見えます。
管理人が訪れた日は、工事が行われていたので、拝殿で参拝する事ができませんでした。
その為、本殿の方まで少し山登りをしてみました!
山道を進むと、苔むした祠とたくさんの狐像が姿を現わします。
なんだか現実世界とは思えない空間でした。
[template id=”79″]
本殿
佐助稲荷神社へのアクセス
住所 | 神奈川県鎌倉市佐助2丁目22−12 |
---|---|
電話番号 | 0467-22-4711 |
御朱印受付時間 | 9時~17時(10月~3月は10時~16時) |
駐車場 | なし |
最寄り駅 | JR『鎌倉駅』徒歩20分 |
佐助稲荷神社の周辺神社情報
銭洗弁財天、葛原岡神社
[template id=”79″]
コメント