苔むした365段の石段を登った場所にたたずむ仙台の亀岡八幡宮の御朱印

亀岡八幡宮、御朱印

1年の日数と同じ365の苔むした石段と戦火を免れた石鳥居が昔の面影を残している『亀岡八幡宮』へ参拝に行ったのでご紹介したいと思います!亀岡八幡宮ではどんな御朱印が頂けるのか、御朱印帳のデザインが気になるといった方に向けた記事となります!

目次

亀岡八幡宮とは

  • 御祭神:応神天皇、玉依姫命、神功皇后
  • 御利益:海上交通、商売繁盛、事業繁栄、安産祈願、厄除け
  • 例大祭:5月15日

御由緒

文治5年(1189、鎌倉)伊達朝宗相州鎌倉鶴ケ岡八幡宮を伊達郡高子村に勧請した。このとき霊亀出現、依って亀岡と称す。
応永33年岡部梁川に遷座、天文元年伊達稙宗同郡西山城に遷し、又元亀2年同郡梁川に移す。天正中政宗伊達より岩手山に移る。
上杉景勝の領地となったので、社司山田宮太夫清重これを憂い弟重之と相謀り、慶長6年密かに神体を護持して伊具郡丸森に到ってこれを政宗に告ぐ、同7年命じて仙台同心町(瀧沢神社)に仮宮を造り安鎮する。よって宮太夫に米三口を給す。

寛永17年義山公(忠宗)社殿を経営し同年7月遷宮のことを行い、梁川今八幡と称す。同20年4月始めて神事を行い祭奠稟米五石を寄進す。
天和元年7月肯山公(綱村)社を城坤河内の地に移し大いに土木を起し宮社を造営する。同3年8月落成15日遷宮して亀岡八幡宮と称し、祭料八石を増し、百石の地を敬進し宮太夫を山田土佐守と改称せしめ神職に定め三十石の地を給与す。

更に社士10人、巫1人、洒掃1人をつけた。別当寺を亀岡山積宝寺千手院という。
歴代の藩主の奉納品多きが中に刀剣、銘備前長船義光の一振は重要文化財に指定されている。(観蹟聞老志、名蹟志、封内風土記、社蔵記録)。

明治4年7月村社に列す。昭和20年7月戦災を被り、旧社殿悉く焼失したので、一本杉の伊達家の氏神の社殿を移し本殿とし、新に幣殿、拝殿其の他の建物を造営して昭和40年10月竣工した。

宮城県神社庁より引用

亀岡八幡宮の御朱印

鶴岡八幡宮で頂ける御朱印となります。
初穂料300円。
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亀岡八幡宮の魅力

地下鉄東西線川内駅から徒歩15分ぐらいで、石鳥居の前に到着します。
亀岡八幡宮には参道と、裏参道の2種が存在し、表参道は365の石段を登る事ができます。
私は、行きは石段を、帰りは裏参道を下りましたが、石段は舗装されていないので足腰が弱い方には心臓破りとなってしまうので、裏参道を登る事をオススメします。

亀岡八幡宮、御朱印
亀岡八幡宮、御朱印 亀岡八幡宮、御朱印亀岡八幡宮、御朱印 太鼓橋は春には枝垂桜のトンネルができる、大変有名な桜の名所としてです。こちらの枝垂桜は樹齢350年を超えています。
太鼓橋を渡ると最初の石段が姿を現わします。

亀岡八幡宮、御朱印

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輜重兵第二聯隊之碑

輜重(しちょう)とは前線へ送る食糧や衣糧、弾薬などの事を指し、輜重兵とは補給部隊の兵士を意味します。
こちらの碑は、輜重第二連隊の碑となります。

亀岡八幡宮、御朱印 こちらの手水舎は、碑に関わる方々からの奉納。亀岡八幡宮、御朱印

輜重兵第二聯隊之碑を過ぎると第二の石段が登場です。

亀岡八幡宮、御朱印
第二の石段を登り終えると、更に長い石段が登場します。
亀岡八幡宮の石段は造営当時のものが今も残されており、仙台市登録文化財となっています。
石段は舗装されていないので、ゆっくり一歩ずつ登っていきましょう。
私が訪れた日は雨が降っており、足を踏み外したら滑り落ちる!とドキドキしながら登っていました(笑)
亀岡八幡宮、御朱印

手水舎と本殿

亀岡八幡宮の社殿は昭和20年の仙台空襲にて焼失しており、現在のものは1965年に竣工されさものです。

亀岡八幡宮、御朱印拝殿の手水舎とは別の手水舎には2体の鶴と亀亀岡八幡宮、御朱印 亀岡八幡宮、御朱印 亀岡八幡宮、御朱印

高良玉垂神社

亀岡八幡宮、御朱印境内社の高良玉垂神社。

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亀岡八幡宮へのアクセス

住所宮城県仙台市青葉区川内亀岡62
電話番号022-213-2231
御朱印受付時間9時~17時
駐車場あり
最寄り駅地下鉄東西線『川内駅』徒歩15分
仙台駅西口バスプールで20分

亀岡八幡宮周辺の神社情報

 

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